「豊臣秀吉から学ぶ」 人心掌握術(しんしんしょうあくじゅつ)

歴史

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豊臣秀吉を知る

豊臣秀吉

出典 http://ja.wikipedia.org

秀吉の「人たらし」は本当? 


 「戦国武将の中で、最も『人たらし』だったのは豊臣秀吉だ」

 歴史ファンならずとも、秀吉には誰もがこんな印象を抱いています。

数々の歴史小説やドラマでも、彼のことはまず例外なく「稀代の人たらし」として描かれています。「冬の寒い日に、主君である織田信長の草履(ぞうり)を懐で温めた」といった彼の若き日の姿は、よく知られたエピソードでしょう。

ただ、歴史小説やドラマには、物語を面白くするために、少なからず「フィクション」も散りばめられています。実際、この草履の逸話も含めて、「真偽」が定かでない話も多く語り継がれています。

しかし、「豊臣秀吉=人たらし」という点に関しては、歴史的事実や信憑性の高い伝承などを見ても、まず間違いない「事実」だったようです。

 彼の「人心掌握術」はいったい何がスゴかったのか?

最大の要因は「人の心をつかむ才能」でしょう。

秀吉は「人心掌握術」に長けた「人たらし」で、周囲の人にも慕われていたことです。

秀吉は“人たらし”の才能を武器に、天下をつかんだ」と言っても過言ではないでしょう。

自身の性格もあるでしょうが、低い身分からの「叩き上げ」で出世した彼には自前の家臣団がなかったため、多くの「優秀な人材を登用」する必要があったことも大きな理由でしょう。

この才能は戦いの場でも発揮され、無闇に戦火を交えずに、相手を「味方に組み込む」ことで、無用な犠牲を出さずに勢力を拡大していきました。

「人たらし」たるために、秀吉には人材の「財や材」を読む力があったようです。たとえば、竹中半兵衛、黒田官兵衛、石田三成などを家臣として登用するときの「人の材を見抜く力」は、上に立つ人物の必須条件といえるでしょう。

これが秀吉流「人たらし」の極意

秀吉の人心掌握術の5つのポイント。

■「上司と部下」はこうして懐柔する

 【1】「上司が苦しいとき」に頑張り、成果をアピールする

 上司がピンチの状況のときには、率先して困難な仕事を引き受けます。
織田信長も、戦場では何度も危機に遭遇しています。1570年の「金ヶ崎の戦い」では、浅井・朝倉軍の巧妙なワナにはまり、絶体絶命の状況に追い込まれました。

 このとき秀吉は、「敵の追撃を一手に引き受け、信長を退却させる」という危険な任務、殿(しんがり)の役を自ら買って出ます。この「献身的行為」によって、秀吉は信長からより重用されるようになりました。

 【2】「部下のミス」はあえて責めずに、心をつかむ

 豊臣秀吉は、部下の失敗をあえて咎めず、逆にやさしい言葉をかけることで心をつかむのも得意でした。

 1854年に徳川家康と戦った「小牧・長久手の戦い」の際、秀吉の水軍を指揮した九鬼嘉隆(くき よしたか)は、徳川方の反撃にあい、撃退されて九死に一生を得ます。

 このときの失敗について嘉隆が秀吉に詫びると、秀吉は「あの状況で帰還できたことこそ、何よりの手柄である」と言って、むしろ嘉隆を称えたといいます。それに感動した嘉隆は終生、秀吉に忠誠を尽くし、「関ヶ原の戦い」では西軍に加わって最後は自害して果てました。

 【3】「接待攻勢」で上客を確実に獲得する

 強敵には「正攻法」で挑まず「接待攻勢」で懐柔するのも、秀吉流「人心掌握術」です。

 1588年7月、秀吉は中国地方最大の有力大名、毛利輝元に上洛を命じます。すでに毛利家は秀吉の支配下に置かれていましたが、当主の輝元はまだ秀吉のことを警戒していました。

 しかし、輝元が上洛すると、秀吉は輝元への「官位の便宜」をはじめ、「京都大坂の観光案内」、各界の有名人が集う「社交界」の一員に招き入れるなど、彼を厚遇します。これを満喫した輝元は以降、秀吉に服従するようになりました。

 【4】イメージ戦略で「権威」を示し、「好感度」も上げる

 秀吉は世間に自らの「権威」を示し、「好感度」を上げるために、「天下の一大イベント」を開催することを考えます。

 かつて織田信長は、京都で盛大な軍事パレード「馬揃え(うまぞろえ)」を行ってその力を誇示しましたが、これに倣い秀吉は、京都で史上空前の大茶会「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」を主催し、権威を世間にアピールしました。

 当時、茶湯は千利休(せんのりきゅう)などによって大ブームでした。この茶会は、愛好者であれば身分を問わず参加できたことから、当日は1000人におよぶ来場者で賑わうなど話題を呼び、世間一般にも広く「秀吉の時世」が意識されるようになったのです。

 【5】「カネ」にものを言わせて大盤振る舞いする

 秀吉は莫大な財力を武器に、「カネ」で人心を買うこともしています。

 豊臣政権を支えていたのは、豊富な「金」と「銀」でした。彼は、佐渡や生野(兵庫県)、石見(島根県)といった主要な金山・銀山を直轄地にして、多大な収益をあげていたのです。

 1589年、秀吉は京都に建てた聚楽第(じゅらくだい)で、自らが所有する金銀を皇族はじめ諸大名に分配します。

 「弟の秀長には金3000両と銀2万両」「家康には金1000両と銀1万両」など、その総額は計36万5000両にのぼり、枚数にして「金4900枚、銀2万1100枚」。当時の金1両は、現在の価値に直すと数万~数十万円ともいわれます。まさに大盤振る舞いでした。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、戦国三大武将の真実!

”天下人”豊臣秀吉の真実 20160823

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