「パク・クネ大統領支持率5%」 転落までの生い立ち

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「パク・クネ大統領支持率5%」 転落までの生い立ち
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韓国国民の冷たい反応、激しい批判を浴びている大統領の生い立ちに迫る。

朴槿恵(パク・クネ)大統領を知る

出典 http://ja.wikipedia.org

パククネ大統領が歩んだ人生

1952年、韓国慶尚北道(キョンサンプクト)大邱(テグ)市で元大統領・朴正煕(パク・チョンヒ)の長女として生まれた。キリスト系の中・高校から、西江大学電子工学科に進学。首席で卒業後、フランスのグルノーブル大学に留学した。留学中の74年、母・陸英修(ユク・ヨンス)が暗殺されると、22歳の若さでファーストレディーの役を継承。しかし79年、今度は父・朴正煕大統領が側近の中央情報部(KCIA)部長・金載圭(キム・ジェギュ)によって射殺される。このとき発した第一声「前線(北緯38度線)に異常はありませんか」は、政治家・朴槿恵の資質を評価する言葉として、しばしば採り上げられる。

その後、嶺南大学の理事を務めるなど、政治の一線から身を引いていたが、97年に起こったアジア通貨危機をきっかけに政界に復帰。同年末に行われた大統領選で、ハンナラ党・李会昌(イ・フェチャン)候補の支援を表明し、翌年には国会議員補選に出馬した。劣勢が伝えられたが、厳三鐸(オム・サムタク)候補を破り、保守系の希望の星としてマスコミの注目を浴びることになった。2002年には北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記との二者会談も果たしている。

04年にはハンナラ党代表に選ばれ、党内改革に着手。06年には地方選の遊説中、暴漢によって顔面を切りつけられ、60針を縫うけがを負ったが、ハンナラ党を勝利に導いた。翌年、党の大統領候補選挙に出馬するが、李明博(イ・ミョンバク)に敗れ、党内を「親李派」と「親朴波」に二分させることになった。その後、党が推進してきた首都移転計画を李大統領が反対したため、更に対立姿勢を強めた。また、12年8月李大統領の竹島(韓国名・独島)上陸も「反日のポピュリズムに過ぎない」と厳しく批判した。ただしこの発言は、日本に弱腰という批判を避けるため、大統領選挙中に修正している。国内外で「選挙の女王」「韓国のサッチャー」「アジアのメルケル」などの異名をとる。

パク・クネ大統領の両親について

父のパク・チョンヒは貧農の6男2女の末っ子、母のユク・ヨンスは富豪の二女。その2人の間に生まれたのがクネだ。1961年5月16日、軍人だった父はクーデターによって全権を掌握。一家はソウル市の下町、トッポギ発祥の町として知られている新堂洞の家に住んでいたが、父が権力の階段を上るにつれ、広い庭のある議長公館で暮らすようになった。

しかし、一家は以前と同じ暮らしを続けた。母には倹約生活が染みついていて、父がはいた軍服のズボンの裾をつめて娘にはかせるような暮らしぶりは変わらなかった。「特権意識を持ってはならない」という母のしつけは徹底していた。
クーデターから2年後の1963年10月、父は大統領に就任。一家は青瓦台(大統領官邸)に移った。しかし「いつか新堂洞の家に帰る日がきます。青瓦台に住むからといって優越感を持ってはいけません。ここは借りて住んでいるだけです」と母は子どもたちを、ことあるごとに諭したという。

「お母さんの、一般学生と同じように扱ってほしい、という強い希望で」(キム・ジェスク修道女)中学も、SPの警護どころか電車通学。大学で電子工学を学んだクネは、フランスに留学する。

悲劇はその半年後に起きた。1974年8月15日、国立中央劇場で演説を始めた父・パク大統領に向けて銃弾が発射された。父は無事だったが、後方の貴賓席に座っていた母が崩れるように倒れ込んだ。銃弾は頭部を貫通し、手術のかいなく死亡。クネは22歳の若さで学業を断念し、ファーストレディとしての役目を果たそうと決意する。

母の死から5年後、再び悲劇が襲い掛かる。1979年10月26日夜、キム・ジェギュ中央情報部部長の発射した銃弾によって、パク大統領が暗殺されたのだ……。
『韓国初の女性大統領』の著者カン・ヨンシクさんは言う。「彼女には父親譲りのカリスマ的リーダーシップがあり、人の心に訴える誠実さは母親から受け継いだものだと思います。それが国民にも理解されて、圧倒的不利がささやかれていた選挙でも勝利できたのだと思います」

凶弾に倒れ、病院に運び込まれた母の下着を見て看護師は泣いたという。縫いつないだ粗末な下着を身に着けてたからだ。最後まで国民と痛みを分かち合い、ともに歩くことを命がけで教えてくれた母。万感の思いを秘めて、2月25日、パク・クネは第18代大統領に就任する。

母・陸英修(ユク・ヨンス)
父親のパクチョンヒ(朴正煕)

パク・クネ氏とはどんな人物か?

朴槿恵氏は韓国の朴正煕元大統領の長女である。彼女は良くも悪くも朴元大統領の娘であり、それが彼女の政治家としてのキャラクターを形作っている。彼女を知るためにには父親のことを理解するのがもっとも早道だ。

朴元大統領は日本の陸軍士官学校を卒業後、当時日本の植民地だった満州国で軍人をしていた人物。戦後は韓国の軍人となった。1963年軍事クーデターを起こし全権を掌握して大統領に就任。以来、1979年に暗殺されるまで軍事独裁政権の大統領として君臨した。

朴元大統領はその経歴から分かるとおり日本との関係が深く、大統領在任中には日韓基本条約を締結している。日韓基本条約は戦争に関するすべての事項を清算する代わりに、日本が韓国に対して巨額のODA(政府開発援助)を提供するという内容。ODAには日本企業が参画することが条件となっており、ODAは巨大な政治利権となった。ODAとして提供される開発資金の一部は、朴政権の幹部と日本の自民党の政治家の一部に流れ政治資金として活用されたといわれている(ちなみに現在領土問題が発生している竹島は、この条約の提携時に両国で棚上げを決定している)。

このような流れから、朴槿恵氏には日本の自民党と深いパイプがあり、反日色が極めて強い左翼政治家である文候補と比べると親日的といわれている。一方で韓国内では親日政治家として批判されることもあるほか、父親が反体制勢力を徹底的に弾圧し、国民を監視下に置いていたことから人権上の問題を指摘されることもある。
 朴氏は母親も暗殺されており、母の死後は朴元大統領のファーストレディとして外交に同伴していた。事実上の政治家デビューであり、その時期を含めると政治家としてのキャリアはかなり長い。またこうした事情からか結婚しておらず独身を貫いている。
 父と母の両方を暗殺で失った境遇から同情を集めている一方で、世間知らずのお嬢さんというイメージもあり、評価が分かれるところだ。

 長い政治的キャリアの割りには、政策面や思想面ではあまりはっきりとしたイメージがなく、与党セヌリ党の広告塔として見られている面もある。このため大統領としての資質があるのは、未知数ともいわれる。
 選挙における公約は、基本的には李明博政権の路線を継承する形となっており、韓国の内政や外交で大きな変化はないと考えられる。

チェ・スンシルゲートの原因をパク氏は「孤独」だった

2014年、セウォル号惨事当時から、チェ・テミンとチェ・スンシルは、朴槿恵政権の最大のタブーだった」
「韓国の検察から取り調べを受けていた当時、検事がしつこく聞いてきたことの一つが、チェ・テミン親子のことだった」と明かし、「この問題は、朴槿恵大統領の最大の弱点であることをすぐに悟った」と付け加えた。
チェ・スンシルゲートの原因を朴槿恵大統領の「孤独」とした。朴槿恵大統領の孤独は、彼女の人生と政治家としての成長過程によるものとした。両親を早くに亡くした後、他に助けてくれる人がいなかった状況で、チェ・テミン一家は特別な存在だったとした。

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